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君の見ていたあの空の下で


「ねぇ、その飛行機どうやって作ったの?」
目の前に広がる青空の中を小さなゴムを動力足した飛行機が飛んでいく。落ちる気配は感じられず、どんどん目の下の谷を越さんと青空を突き進む。谷といっても底は深いが十メートルほどと間隔は広くない。近くに橋も架かっている。その飛行機は谷を越し向かい岸でまで飛ぶが、旋回して谷に落ちていってしまった。
「俺が帰ってその後に出会うことがあったらな。」
そう答えられてむすっとした顔でその女の子も飛行機を飛ばす。ほとんど飛ばず谷に落ちていってしまった。
「絶対だよ」
 
                     *  *  *
 
「今日俺たちのところに転校生が来るだってよ。」
うだるように暑い教室の中で直哉が別にどうでもよさそうに言う。教室の中には三十九人いる。七月のこの人数といったら呼気だけで苦しい。それに校舎は設計者が何を思ったか知らないが、風がほとんど通らないように工夫してあるような感じがする。
「ふうん。かわいい女の子だといいな」
涼夢がまったく期待してないという感じで答える。
「ああ、女の子らしいぞ。かわいいかどうか見てないからわかんないけど」
そう言ったところで先生がいつも通り偉そうに教室に入り教壇に登る。相変わらず人を見下したように
「今日はいい知らせがある。変わった時期にだが転校生だ。悠穂、入って来い。」
髪の長い女の子が頬を赤らめながら入ってきた。教室はざわざわしている。名前を聞いた瞬間、涼夢はどきりとした。直哉がこっちの様子に気づいたらしく、ちらちら様子を隣の席からうかがってくる。
「は、はじめまして。木下悠穂です。よろしくおねがいします」
涼夢は顔をうつぶせている。
「おまえの知り合いか?」
「はうがふはいのほろふぁふぁひふんでひはほひ・・・」
「何言ってるかわかんねえよ」
「じゃあ一番後ろのあの大野と山口のとなりの席にいけ。大野、山口、困ってたら助けてやってくれ。じゃあ次の連絡は・・・」
そんな先生の話に耳を傾けているものもいつも以上に少なく、内職をしているものもいまはほとんどいない。後の方の席から
「私、大野理沙。よろしくね」「あたし、山口紬香。何でも聞いてね。」
そんな声が涼夢の耳に入ってくる。心がもやもやしていて先生の言葉も理解できない。
「で、おまえの知り合いか?」
顔を上げてボーっとしている涼夢に直哉が尋ねる。
「俺が小学生のとき山の中の村に住んでいたっていったよな。そのとき近くに住んでてよく遊んだんだよ」
涼夢は小さな声でボソリと言う。
「ふうん。向こう、気づいてないのかな。普通知ってたらちらちら様子うかがうなり、気にしたりするもんだろ。しかも十年近く前の懐かしい顔なんだしな」
「涼夢、忘れられてんじゃないの?十年ぐらい前のことなんだろ?」
前の席から啓人が盗み聞きしていたのか、気にしていることを堂々と言ってくる。
「それじゃあ、ST終わり。授業の準備。また帰りに」
先生が聞いていようといまいと自分の都合でSTを終わらせる。担任の先生と入れ替わりに古文のおじいさんがお墓から出てきたようによぼよぼと入ってくる。涼夢はいつも新任の先生使わないから就職が難しいんだ、と思う。だがこれこそ古文の先生だ。見るからに古文、という感じをかもし出している。
「はい、教科書開いて。あれ、どこまでやったかな?」
自分の担当のクラスの進み具合ぐらい覚えとけよ、と啓人が呟く。だが涼夢は教科書は開いているものの、やはり自分の世界に転生している。そんなこんなでチャイムが鳴り先生はお墓に帰った。
 どの教科もそんな調子で午前4時間を生き延びることができた。
 涼夢はいつもどおり直哉と昼食を取り始める。
「で、どうするんだ?」
直哉がこっちの気持ちを察したのか、そんなことを聞いてくる。直哉が
「話しかけてこいよ。」
という。楽しそうに啓人が割り込んで
「俺も混ぜてくれ」
といいながら近くの机を引っ張ってきて二人の机につける。涼夢と直哉には選択の余地がない。涼夢は正直、啓人が嫌いだった。嫌いになるようなことはされた覚えはないのだが雰囲気というか、何かが異常に気に入らない。
「で、どうするんだ?」
また直哉が促す。
「俺に気づいてないのか聞いて来たいけど、女子ばっかで近寄れない雰囲気・・・」
「じゃあ、俺が大野に頼んで聞いてやるよ」
大野と直哉はいわゆる幼馴染とやらで、クラスは同じになったことは少ないようだがそれなりに仲も良い。直哉は携帯を取り出しせかせかとメールを打ちはじめる。
『あの転校生、涼夢のガキの頃の知り合いかもしれないんだって。そのことについて聞いておいてくれ。返信しなくて良いから帰りに気づいてないのか教えてくれ。』
教室の中で携帯電話が振動すると思われる音がかすかに聞こえる。悠穂たちと食べていた大野が携帯電話を見る。
「誰?」
山口が悠穂との会話を止めて聞く。
「ただの迷惑メールよ」
そう言って一度直哉のほうを見て軽く頷く。直哉も同じように大野のほうを見て頷いた。その後何もなかったかのように大野は悠穂たちと話しながら食事を再開する。
「感謝しろよ」
直哉はそう言って空になった弁当箱を片付ける。
「ああ」
「なあ、おまえの山の村に住んでたときのことを聞かせろよ。」
啓人がコンビニのパンをかじりながら聞いてくる。
「めんどくせえな」
そう前置きをしてほんとうにめんどくさそうに涼夢は話し始める。
 
 あれは涼夢たちが小学二年生の頃のことだ。涼夢の母は肺の病気を患って、空気の綺麗な県内の山に住む母の母、いわゆる祖母が住んでいて母の実家でもあるところに涼夢を連れて引っ越していた。母の病気も、もともとある程度回復していたので大きな病院にいるよりも空気の綺麗な小さな病院のほうがいい、と医者に言われていたのだった。父は今の涼夢たちが住む町に一人で暮らしていて、たまに顔を出していた。
涼夢には田舎での生活はとてもつらかった。なんせ山の中、学校の友達もバスじゃないといけないようなところに住んでいる。だがその山はほとんどアスファルト舗装をされていなかった。そのときそれほど遠くないところに悠穂は住んでいたのだった。
 引っ越したその日、涼夢は家の周りを一人で散策しているときに引っ越してはじめて子供に出会った。その少女こそが悠穂だった。悠穂ははにかみながら涼夢に誰なのか、どうしてこの山にいるのか聞いてきた。涼夢はその質問に律儀に答ると、悠穂は嬉しそうに微笑みながらよろしく、といって自分のことを話し始めた。彼女が言う限り、この辺りには彼女以外小学生がいない、と言うことだった。
 
「わかったか?それだけだよ」
「内容がぜんぜんねぇじゃねぇか。そのあとのことはどうなんだよ」
啓人は先を促す。
「チャイムが鳴りそうだから割愛させてもらう」
そう言って直哉のほうに向いていた机をそそくさと元に戻してしまった。
 
 いつも通り涼夢は直哉といっしょにバスケ部行き、いつも通りこれといった練習もやらず、いつも通り終わった。学校から帰ろうと校門を出ようとしたとき大野に呼び止められた。
「直哉、涼夢君。さっきのことだけど・・・あの子、記憶喪失らしいの。」
声を潜めて大野が言う。
「え!?」
涼夢が目を大きく見開いて口にする。続けて直哉が言う。
「おまえ、あの子の両親と知り合いだろ?あいつんち行って聞いてみろよ」
「なぁ、大野、あいつンち知ってるか?」
「えっと、確か○△◇マンションって言ってた気がする・・・」
「じゃあさ、本人いる前だと気まずいからあいつを今度の日曜日ぐらいにどっか誘っといてくれよ。町案内、とか言ってさ」
涼夢はまだ驚きを隠せないように言う。
「う・・・ン、土曜日なら良いけど」
「じゃあそうしよう」
「俺はどうすればいいんだ?」
直哉が大野に聞く。
「俺と来てくれたら嬉しいんだけど」
涼夢が横から言う。そこで交差点にたどり着いた。涼夢は二人と違う方向で駅に向かわなくてはならない。
「じゃあ、また明日」「また」
二人が声をそろえて言う。大野と直哉は相変わらず仲がよさそうにしている。涼夢は二人の後姿を見て小さな溜め息をついた。
 
 同じような朝が始まった。今日は土曜日、学校は休み、部活も連絡は今日はうち法事だから休みます、と古典的なことを言っておいた。涼夢は朝っぱらから元気に鳴り響いている目覚し時計をいつものようにチョップで止める。そして涼夢はいつものようにもう一度寝る。だが再び目覚ましは鳴る。目覚ましは傷がたくさんついているが比較的新しく、×ショックも驚きの耐久力を持つ、まさに涼夢のためにあるといっても過言でないしぶとい時計だ。涼夢はこれでもかというようにチョップをもう一発食らわせる。だがこれだけであきらめる目覚し時計ではない、もう一度反撃をしてくる。そこではじめて涼夢は今日何をするべきか思い立った。目覚し時計にとどめを刺して立ち上がり、携帯電話を確認する。直哉からのメールが入っている。十時に某マンションに集合らしい。そのまま時間を確かめる。時計は九時三十分少し前を指している。やばくはないがやばくないこともない。急いで支度をして自転車に乗って行く。
 
予想通り○△◇マンションには遅れてついた。そこの自転車置き場には直哉がいらいらしながら待っていた。
「遅い!何やってたんだ?」
「起きようと努力してた」
「やっぱ寝てたのかよ」
そう言って二人はマンションの郵便受けを見る。そこで木下という苗字を探す。悠穂は三階のようだ。二人は三階に登る。先ほど見た部屋番号に向かう。
「いくか・・・」
涼夢は呟き呼び鈴を鳴らす。はい、というノイズの混じった女性の声が聞こえた。
「えっと、涼夢です。あの、山にいたときに近くに住んでた・・・」
ちょっと待ってください。とまた同じ声が言う。すぐに扉が開く。
「こんにち・・・」
「久しぶりね、あがってちょうだい。お友達もどうぞ」
もうそんな年齢じゃないのだが、突っ込むわけにも行かない。座ってといわれて言われるままにする。紅茶を三杯作りクッキーを持ってくる。断るべきなのかもしれないが、涼夢は朝ご飯を食べていない。
「悠穂と・・・同じ学校?私、涼君がいるかもしれないと思ってこの町に来たの」
「はい、同じクラスでもあります」
涼夢が答える。
「悠穂が記憶喪失って・・・聞いた?」
「はい、本人からではありませんが。何があったのかよかったら話していただけますか?」
悠穂の母はそのつもりだったのか、大きく息を吸い込んでから話し始める。
 
その事件はほんの二ヶ月前のことだったらしい。友達と例の山で遊んでいて頭をぶったとか。その友達が言うには部活動でほかの高校とテニスの練習試合をしていて誤って、詳しくはわからないが頭を打った、ということが原因らしい。生活には差し支えはないらしいのだがやはり記憶がないのは虚しく、生活も虚ろになると医者が言っていたので新しい生活をして、よい思い出をこれから作ろう、ということに治まってこの町に引っ越してきたらしい。
 
「そんなことがあったんですか・・・」
「はい、ここに偶然涼君がいた、ということです。悠穂、何も覚えてなくてほんとうにごめんなさいね」
「あなたは何も悪くないし、悠穂が悪いわけでもないです。事故ですのでしょうがないです・・・」
沈黙が始まった。重苦しい、心がつぶれるような切ない・・・
「で、どうすんだ?」
直哉がはじめて口を開いた。
「このまま放っておけないよな、涼夢」
「ああ、何とかしてやりたいな・・・あ、どうもありがとうございました。失礼します」
「悠穂のことよろしくお願いしますね」
「はい。それでは」
 涼夢がそう言って二人は○△◇マンションを去った。
 
「ふうん、そんなことがあったんだ・・・」
ST前の学校、悠穂はまだいない。大野が呟いた。
「おまえは何か新しい情報を得たか?」
「別にないけど・・・」
「そうか、あ、悠穂だ。ちょっと、呼んでくれ」
直哉が言う。
「まったく・・・悠穂ちゃん、おはよう」
大野がそう言うと、悠穂がゆっくりこっちに歩いてくる。
「あ、え、おはよう」
悠穂は涼夢と直哉を見てはにかみながら言う。
「おれ、八重乃涼夢。大野とは・・・クラスメイトだ」
「んなことわかるだろ。俺は東谷直哉。大野とは幼馴染ってとこ。よろしく」
「よろしく・・・」
「ね、今度の休み五人でどこか行かない?」
「五人ってあと一人は・・・」
直哉が聞く。大野は
「あ、紬香ちゃんよ。おとといもいっしょに来てもらったの」
「俺はかまわないけど・・・」
涼夢が言って悠穂のほうを見る。その視線に気づき、顔を赤くして
「私はいつでもいいよ」
と、言った。
「じゃあさ、夏休に入ってすぐにある花火大会に行かないか?」
直哉が言う。
「いいわね。あ、紬香ちゃん、ちょっと」
「おはよう、みんな。どうしたの?」
「えっと、夏休みに入ってすぐにある花火大会見に行くことになったんだけど、山口も行かないか?」
「あ、別にいいよ。いつどこに集合?」
「じゃあ、六時に生瀬野駅なんてどうだ?」
直哉が提案する。
「異議なし。決定」
山口が一方的に決定する。特に異議はないようだ。
 
 そして夏休みが始まる。生瀬野駅には大勢の人がいる。今から花火に行く人も少なくないのだろうが、この時間は通勤しているサラリーマンたちが多い。そんな中五人は人並みに逆らって堤防のほうに歩く。
少し行くと見物客はばかりになる。もう周りには屋台が出ていて高めに設定された値段といろいろな香りが客を呼び込んでいる。お店の不良卒業と思われる人相の悪い兄ちゃんや、性格の曲がってそうなねえちゃんがやる気をなさそうに商品を売っている。一番後ろを歩いていた涼夢がその前を歩いていた悠穂が止まるのに合わせて立ち止まる。
「どうしたんだ?」
「何か食べようかなって・・・」
「じゃあ、俺も食べよう」
そういって一番近く似合ったお好み焼きを五つ注文する。例どうり人相の悪いねえちゃんがめんどくさげに
「はい、二千五百円ね。」
という。そして涼夢はお金を払う。悠穂は涼夢に五百円払うといったが
「いいよ。おごる」
と、いってくれた。
「ありがとう」
と、素直に受け入れて三人の後を追った。
 ドン、パラパラパラ。一発目の花火が空を照らした。まだ完全に暗くなっていない紫色の夜空に大きな花が咲く。それをスタートとして次々と空を彩る。
「きれい・・・」
「うん。なぁ悠穂、明後日俺と二人であの山に行かないか?悠穂が来たところ」
空は二人にお構いなしに明るくなったり暗くなったりしている。
「え?どうして・・・」
「あのさ、悠穂はさ、記憶なくしちゃったんだろ?俺たちがまだ小さいときにさ、悠穂の家の近くに俺が住んでて、よく遊んだんだよ」
枝垂れ柳がもうすっかり暗くなった空に輝きを記す。
「・・・うん。じゃあ、そうしよっか。ありがとうね」
「あ、うん。そうだ、みんなを探さなきゃ」
そう言ったところで涼夢の携帯電話が鳴った。花火の音と周りの声でほとんど聞こえないがかすかに聞こえたのを悠穂が聞き取った。涼夢は誰からか確認する。直哉からだ。
『おい、おまえどこにいるんだよ。悠穂はいるのか?』
「あ、どこだろ・・・悠穂はいるけど・・・」
『俺たちは今土手のところにいるんだけど・・・えっと、え、あ、じゃあ・・・』
直哉の声の後ろから集合場所を決める大野達の声がする。
『鉄塔のところに来てくれ。すぐに』
「わかった」
その声は聞こえたかどうかわからないが電話はすぐに切られてしまった。
「鉄塔の所だって。ついて来て」
そう言って次々と色を変える空を眺めながら二人は歩く。
 鉄塔にたどり着いた。そこには山口がいた。
「もう、なに迷子になってるのよ」
「まあ、そう言うな。行こう」
そう言って山口を先頭に二人のいるところに向かっていった。
 
「・・・私、涼夢君のこと好きかもしれない・・・」
花火の輝く闇の下で直哉に大野が呟く。
「でも、涼夢君って悠穂ちゃんのこと好きなんだよね」
「だろうな・・・」
「直哉は・・・私を好きだった?」
「だろうな・・・」
溜め息をつきながら直哉は答える。空は忘れることなく色を変えていく。また南の空にはアンタレスが負けじと光ろうとしていた。
「二人を捕まえてきたよ」
山口が言う。涼夢がお好み焼きを差し出しながら
「はい。一人五百円ね」
直哉がしぶしぶお金を払う。大野が
「直哉、おごって」
と、いつも通り言う。もちろん直哉はしかとする。山口は
「踏み倒す!」
と、言ってお好み焼きを一足先に食べ始める。
「忘れたんだな。まったく、貸しといといてやるよ」
涼夢が言ってみんなが食べ始める。
 花々は色を変え、闇を殺し、静寂を壊し、心を癒す。
 
 アンタレスが西に傾き始めて最後の花火の音が木霊した。空はかすかな巨大な光の煙を残し、アンタレスは嬉しそうに空に光っていた。
 
「きれいだった」
そんな率直な感想を山口は言う。今一向は生瀬野駅に向かっている。
「それじゃあ、また補習の日にでも」
苦笑いしながら山口はみんなとは違う方面の電車に乗って帰って行った。
 涼夢たちも花火を見ていたと思われる連中で混雑した電車に乗って行く。大野と直哉より前の駅で悠穂と涼夢は降りる。簡単な挨拶をしてわかれた。大野と直哉は異口同音に小さな溜め息をついた。そして何もなかったかのように電車はより深い闇の中へと動き始める。
 涼夢と悠穂は明後日の打ち合わせをしながらゆっくり歩いた。駅を出たところで三々五々家路についた。
「直哉、ごめんね」
ほとんど誰もいなくなった電車の中で大野が呟く。
「どうしたんだよ、急に」
「なんでもないよ・・・」
 
 朝がまたきた。涼夢は今日も目覚し時計と戦っている。相変わらずうるさい。何度もチョップを繰り出す。だがこれだけであきらめる時計ではない。涼夢は叫んだ。
「朝からうるせーぞ、ゴラァ!何時だと思っとるんだ!」
そう言って布団の中に目覚し時計を取り込み、電池を抜くという最終手段に出た。そしてまた自分の世界に入ろうとした、が
「あんたこそ何時だと思ってるのよ!早く起きなさい!ほら、目覚し時計の電池抜くなんて邪道よ。無意味じゃない。」
「ああー、母さん、休みの日ぐらい寝かせてくれよ。目覚ましもかってにセットしないでくれ。今日は部活も休みだって、たぶん」
「なんか聞き捨てならない語尾ね。いいかげん起きて手伝いなさい」
「わかった。早く出てって」
「まったく、お父さんに似て休みになるとすぐこれなんだから」
ぶつくさ言いながら母は涼夢の部屋から出て行く。涼夢は母の仕掛けに気づかず、また布団の中に帰っていく。そして・・・
「ぎゃを」
布団の中に猫がいた。涼夢が乗っかってきたのに腹を立てたらしい。猫は涼夢に一発引っ掻きを入れて母が閉め忘れたドアから出て行った。
「まったく、なんて母親だよ。自分だって仕事休みの日はこうなくせに」
「き・こ・え・て・る」
起き上がったすぐそこには母がにっこりと笑った顔があった。
「いや、ね、そのさ、うん、あ、ほら、あれ、えっと」
「何か言い訳があるの?」
満面の笑みを浮かべた母がやさしく聞く。
「あ、そうそう。思想の自由は憲法でも認められてい・・・痛」
「あほなこといってないで早く起きて手伝いなさい。暁屋に行って扇風機買って来て。今日安いんだって。」
「はぁ?何で俺なんだよ。扇風機もってどうやって帰って来るんだよ?」
「おとといに扇風機壊したのはどちら様だっけ?買ってこないのならその人の部屋の扇風機を使っちゃおっかな」
涼夢の部屋にはエアコンがない。母たちのところにはあるのだが電気代がかかるとか言ってほとんど使っていない。
「暁屋ってどこだよ」
涼夢は挫折した。親の権力を使われたんじゃ敗北をするしかない。何ををされるかわからないからだ。
「生瀬野駅の近くよ。行けばわかる。母さん、忙しいから。じゃあ、がんばって」
そう言って母は部屋から出て行った。こんなのが母なのか。何でこんなに軽いのだろう。そんな疑問に答える者もなく、仕方なく準備をした。
 
 母から金をもらった涼夢は仕方なく暁屋に向かう。
 生瀬野駅に着いた。今は中途半端な時間なのでそれほど人もいない。暁屋を探す。だが見つからない。仕方なくここら辺を知ってそうなおばさんに聞いてみる。
「暁屋ってどこにありますか?」
あからさまに妙な顔をした。何があるというのだ、いったい。
「若いのに、大変だね。この道をまっすぐ行くとあるはずだよ。」
「ありがとうございます」
そうは言っておいたものの何かとてつもなく心に中に引っかかっていた。
 行ってみる。暁屋とあからさまに胡散臭げな店だ。涼夢は入るのに躊躇する。まともな人間なら誰もがするだろう。
 腹を決めて中に入ってみる。この雰囲気に圧倒された。『中国四千年の歴史』や『おいしい漢の秘薬!』とか突っ込み自在の商品が並んでいる。
「はい、いらっしゃい。どこか悪いところでも?」
白いひげを生やしたじいさんが近寄ってくる。よく見れば白人だ。赤い服を着せて北ヨーロッパに行かせたい。
「いえ、ぜんぜんです。間違えました」
そう言ってそそくさと店を出る。
「店間違えたかなぁ・・・」
再び来た道を歩き出す。店を探していると
「涼夢君?」
そんな声がする。振り返ってみると大野がいた。
「あ、やっぱり涼夢君だ。ね、今暇?」
「そんなことないとけど」
「そう言わずに。ちょっと着いて来てよ」
なら聞くなっつーの。そう心の中で呟く。
「どこいくんだよ」
「ついてこればわかるよ」
「・・・拉致は犯罪だぞ」
「じゃあ誘拐」
涼夢は大きな溜め息をつく。
 
「何?このエキセントリックな形をした建物?」
涼夢は眉間にしわを寄せて言う。
「美術館よ」
「おい、そんなに金持ってないぞ!」
「ふふふ、あまいわね。昨日これを手に入れたんだ」
それを涼夢に見せびらかしながら言う。入場無料券と思しきものを何枚か持っている。
「負けたよ」
それを聞き遂げて大野はカウンターに強制連行していった。
 
 すごい。まったくわからない。ばかと天才は紙一重って本当なんだなあ。そんなことを思いながら絵を観ている俺に大野は
「ああ、この絵が気に入ったの?確かにいい作品よね。この海の感じが。でもちょっと黄色を使ったほうがきれいになるかな。どう思う?涼夢君」
俺に振るな。俺はそんなこと考えたこともないぞ。でも無視はできない。
「いい絵だね。俺ももっと黄色をつかったほうがライブリーに見えると思うよ」
そう答えておく。
「この絵はどう思う?」
「えっと、もっとミュートにしたほうがよかったかな」
知ったかぶりもいいところだ。
唐突に
「好きな画家っている?」
うわぁ、一番聞かれたら困ることを聞いてきっちゃったよ、この人は。現代活躍するイラストレーターや漫画家のことなら並以上にわかるのに・・・とりあいずすぐ頭に思い浮かんだから
「モネかな。あの色遣いが好きなんだよな」
うわ、何か言おうとしてる、このパターンはまさか・・・
「じゃあ、モネの作品で一番好きな作品は?」
予想、いや、予感的中。考えるポーズをとる。必死に何か言おうとする。どういえばいいか思い浮かばない。ええい、こうなったら!
「教科書の最初のほうのページに載ってたやつ。あの、パリの絵が描いてあるやつ」
言っちゃった。あれってモネだったかな、ゴッホだったような気もするぞ。大野はちょっと考えてから、
「それってユトリロじゃない?」
そうだった気もするぞ。ピンチ!俺のノーイングフェイスがばれてしまう。こうなったら
「大野は誰が好きなんだ?」
話をそらす。
「私は・・・マグリットのピレネーの城、かな」
誰だそれ。はじめて聞いたぞ。某ベストセラーでハグなんとかなら聞いたことはあるぞ。
「あと、ピカソのゲルニカかな」
来ました、変人。芸術ってわからんな。
俺はそれ以上突っ込まず、大野を連れて彫像があるところに進んだ。
 
 久しぶりの美術館だった。今回の見学を通して俺は芸術とは、きわめてバランスの悪いことである、と定義した。まあ、それなりに楽しかった。美術館を出ると、太陽は真南にあった。空は青く澄み渡っている。
「ねえ、お昼ご飯食べない?おごらないけど」
別に期待していない。
「いいよ。どこ行く?」
俺と大野は喫茶店に入っていった。高校生が喫茶店で昼ご飯を食べようなんて思うか、おい。少なくとも俺は喫茶店でランチなんてはじめてだぞ。口には出さずに呟く。
 俺と大野は同じランチメニューを選ぶ。
 料理が運ばれてから大野が突然俺に言った。
「涼夢君、やっぱり、悠穂ちゃんのこと好きなの?」
やっぱこっちの話が女性は好きなんだな。と、思う。
「好き、なのかな、俺。よくまだわからない。好きになるんだろうな、俺。なんか出会いって一目で来るんだよな。かわいいとかじゃなくて好きになりそうとかさ」
俺はそんなことを口に出していた。なぜか大野は悲しそうな顔をしている。
「私、涼夢君のこと、好きだよ」
「えっ!」
俺は本気で驚いた。すっかり直哉のことが好きなのだと思っていた。付き合ってるんじゃないかとまで思ったほどだ。でも、こう言われると反応の仕方が見つからない。
「直哉のこと好きだとばっかり思っていた・・・」
また俺は思った通りのことを言っていた。
「ごめんね」
「何でおまえが謝るんだよ。そんなことしないでくれよ」
俺は困った。俺の本心をぶちまけるのなら今しかない。そう思う。
「あのさ、俺がはじめてあったとき、さっき言ってたようにおまえにも、えっと、あの、おまえを好きになるかもしれないっていうのがあったんだよ。正直、おまえのこと、好きだったのかもしれない。でも、直哉と仲良くしててどこかで、うんと、あきらめてるっていうのがあ
ったんだよ。今だって俺はおまえのことを気にかけてる。でも・・・本当にごめんな」
俺はなぜかムキになって一生懸命しゃべっていた。俺は大野のことが好きなんだろう、と実感としてはじめて感じた。
 
ほとんど何も口にせず店から出た。空には飛行機雲が残っていた。
「じゃあ、またね」
わざと明るく大野が言った。何か忘れてる気がした。
「ちょっと待ってくれないか。電化製品とか売ってる暁屋って知らないか?」
「あ、漢方薬とか売ってるとこ?向こうのほうだよ。何で電化製品と漢方薬をいっしょに売ってるんだろうね。じゃ、またね」
悲しそうに微笑みながら大野は去っていった。まったくだよ。何であの店なんだよ。当たってたのかよ。
 
 珍しく目覚ましなしで目が覚めた。
そうだ、今日は悠穂と山に行くんだ。
 自分の体を見る。別に体が恐竜になってるわけでもない。鏡を見る。別に角が生えるなどファンタジーな様子もない。今日の支度をする。時間はまだあるが早く駅に行って待ってよう、と思う。
 
 駅に着いたら、もう悠穂はいた。いつもより軽い格好をしている。
「おはよう。早いね、悠穂」
「うん、遅れちゃダメだと思って・・・」
そんな会話をしながら電車に乗る。時間もお金も結構かかるところのようだ。涼夢はあまり山のことを覚えていない。だが、行けば必ず何かを見つけられると思う。
 電車は出発し、人がほとんど乗っていない電車が緑の濃いほうへと進んでいく。
 二人は沈黙を続ける。涼夢はどう話しかけていいかわからず、何を言えばよいか考えている。そんなところで悠穂は口を開いた。
「おとといの花火、きれいだったね。記憶をなくしてから、あんな楽しい体験、はじめてした。記憶をなくしてからずっと、今の生活が偽物みたいで、何をやってても、虚しさばかり感じるの」
「今でもつらいのか?」
「少し・・・でも、新しい学校でみんな仲良くしてくれるから、とても嬉しかった・・・それに今だって・・・」
 影は西に伸び、雲はほとんどみえない。しばらく外の風景を眺めていると、いよいよ電車は山の中に入り、駅まであと少しという感じになっていた。涼夢は悠穂に部活動のことなど、他愛もない話をした。涼夢は嬉しかった。悠穂も楽しそうに聞いてくれた。
 
 駅に着いた。緑の中の涼しい風が、人影がほとんどない駅に吹きぬく。
「ここからどうやっていけばいいの?」
涼夢が聞く。
「バスに乗って、もっと奥まで行って・・・」
「うわー、苦手なんだよな、電車と違ってバスは」
一日に何本もこないバスを待った。幸いそれほど待たずに住んだが、帰りはどうなるかわからない。大きく揺れる山の中の道を小さなバスが行く。涼夢は外を見ながら酔わないようにとがんばっていた。悠穂は静かに隣の席でそれほど懐かしくもない故郷への道を眺めていた。
 
 影が一番短くなる時間になった。ずいぶん山の奥のほうまできた。
「涼夢君、降りよう」
「ああ、よろこんで」
バスを降りる。バスや電車と違い、空調がないのに涼しいのは本当に気持ちがいい。
「もうちょっといったたころに私の前のうちがあるんだけど、どうする?」
「うん、近くまで案内して」
そう言って二人はアスファルト舗装がされていない自然の道を歩く。山の匂いをいよいよ感じた。悠穂は転んで足を打ってしまった。歩くのが少しつらそうだ。
「大丈夫か?ちょっと休もうか?」
「あと少しだから歩く」
そう言って再び歩き出した。
 
「あ、ここだ。思い出した」
「何が?」
「昔もこんな感じだったなって」
「もうすぐ着くよ」
そう言って少し歩いたところに、民家が一軒建っていた。
「あぁ、懐かしいな」
涼夢が呟いた。
「ちょっとついて来てくれるかい?それとも少し休む?」
「そこって遠い?」
「そんなに遠くないけど・・・無理しなくていいよ」
「大丈夫。まだ歩ける。」
そう言って涼夢は歩き出した。そんな二人は天候という悪夢に気が付かなかった。
 
「ここだよ、前俺が住んでいた家はさ」
「今は誰もいないの?」
目の前の草で覆われた小さな家を見ながら涼夢は言った。
「俺が引っ越すすぐ前にばあちゃんが死んでさ、こんなところに住めないからってそのままにしといたんだって。ここでの生活は最初はいやだったけどだんだん楽しくなってきたんだ。悠穂のおかげだよ」
微笑みながら涼夢が言った。それに合わせて悠穂もやさしく微笑んだ。
 
「ここだよ。思い出せないか?」
涼夢は木のあまりない崖につれてきていた。すぐ前にはもう岸が見える。悠穂は首を横に振る。
「やっぱりそうか・・・ここでよく二人で遊んだんだ。暖かいときには昼寝したりしてさ」
少し前に出る。それにつられて悠穂もゆっくり前に出た。そしてその崖に涼夢は座った。それに習ってすぐ隣に悠穂も座る。涼夢は仰向けになる。さっきまでは明るかった空が今では泣き出しそうになっている。
「やばい!雨がくる!戻るぞ!」
涼夢は上体を起こし投げ出していた足を地面に戻す。だが悠穂は怪我のせいもあって、なかなか立ち上がれない。
ほんの一瞬のことだった。立ち上がろうとして足を踏み込んだのだが、崖が少し崩れて手でぶら下がる、という状態になった。
「おい、大丈夫か」
涼夢が手を引きながら言う。小柄でやせ気味の悠穂だがそれなりの重みはある。
 真っ暗になってしまった空に光がほど走った。そして花火よりもけたたましい轟音が空気を振動させる。それを合図として大粒の雨が降りはじめた。まさか、と思うことがおこった。雷と雨の威圧であろうことか、悠穂の手が・・・
 
 ああ、私、落ちてるんだな。あの高さから落ちたからきっと死ぬんだろうな・・・結局涼夢君との記憶は戻らなかったな。かすかに涼夢君の声が聞こえる。わたしのことどう思ってたんだろう・・・
 そんなことを考えながら重力に従っていく。途中、木の葉っぱのところにぶつかったが、漫画のようにうまく乗るはずがない。だが、それが幸いとして、地面にはお尻から落ちた。だが高さもあったので頭も強くぶってしまった。
 
 涼夢はしばらくぼうっとして、現実を見ていなかった。容赦なく降り注ぐ雨が服をぬらして気持ちが悪い。二度目の雷が鳴った。その音で涼夢はわれに帰る。いま自分が何をすべきか、そう考えもしないでただ下へと下る道を探す。走っている途中、携帯電話のことを思い出した。すぐさま救急車を呼ぼうとするが、雨の影響と恐怖で思うように手が動かない。冷静になれずに何度も間違った番号を押す。そんなことをしながら何度も転び、下へと下る。雨が視界を悪くし、どうも現実感がわかない。だが立ち止まったらいけない。救急車を先に呼ぶべきかもしれないが、からだは走るほうを優先する。
 
 そこには登山者と見られるものが二人いた。幸い悠穂はその登山者に落ちてくるところを発見された。意識はなく、体中骨折している。すぐに救急隊を呼んだ。天気が悪いが、山の天気なのですぐ晴れるだろう。涼夢はすぐに悠穂に近づき何度も名前を呼んだ。かなり弱っていた。空はまだ泣き止まない。そんな空にもらい泣きしたように涼夢は泣いた。大声を出していた。とてつもなく自分に腹が立った。ここまで自分を嫌ったのははじめてだった。
 声が出なくなるほど呼んだ後、天気が回復した。すぐに救急隊が来て悠穂を連れて行った。涼夢は同行していった。
 
 濡れた服と乾いた頬が病院の冷房と共に責めてくる。悠穂はまだ意識だ戻らない。病室には悠穂の両親のほかに、どう知ったのか、直哉・大野・山口がやって来た。彼女の中学校の頃の友達には知らされていない。
 三人は涼夢をものすごく責めてくる。反論をする以前に三人の声が届いていない。反論なんてできるはずがない。悪いのは事実、涼夢なのだから・・・
 
 そんな時だった。悠穂はゆっくり口を開いた。
「涼夢君は悪くない・・・運が悪かっただけ・・・
 涼夢君、あの山から引っ越す一日前に涼夢君が言ったこと、覚えてる?」
周りの誰もがその言葉を聞いた。涼夢は目を見開いた。頬は再び目からの水で潤される。涼夢は覚えていなかった。何も言うことができなかった。首を振ることなんてできるはずがなかった。
「涼夢君に会えてよかった・・・思い出があるっていいね・・・」
涼夢は悠穂の手を握っていた。その手は引っ越す前の日に見た雲のように白くなっていった。だんだん冷たくなっていった。もう誰も何も言えなかった。
 
 涼夢は悠穂の葬式の次の日、またあの山のあの場所に行った。空は悲しくなるぐらい青かった。山はばかみたいに緑に映えていた。
 崖を下っていった。そこには前は見つけられなかった色褪せた二つの飛行機があった。涼夢は約束を全て思い出した。もう、涙も出なかった。
空、それは人の運命を司っているのかもしれない。時には慰め、時には傷つけ・・・

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