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中学生雑記 第四話〜夢の終わりの終わりの現実〜 


 よう。元気か?私は前渡恵だ。ぜんとめぐむ、だぞ。めぐみ、じゃないからな。間違えると呪われて当分苦しむことになるから気を付けな。とってもかわいい中学三年生にして不登校の悲劇のヒロインよ。たまには学校に行ったりもする。何しに行っているかとか、くだらない質問がするなよ。詳しいことは前のやつとか見てくれ。別に私のことなんて全然面白くないから覚えなくていいぞ。

 

 そうだ、今回の話はかなりブルーなんだよな。四日前にお父さんが逝った。それだけ。私が学校にテストの邪魔をしに、おっと失言。テストを受けに行ったその間に。かなりつらいね。お父さんのことがそれなりに好きだったし。病気がちで弱かったから、旅行とかはあまり連れてってもらっていない。貧乏って言うのもあったけど。

 でも、お父さんの存在は大きかった。失ってはじめて気が付く苦しみ、みたいな。ちょっと鬱陶しいって思ったこともあったけど、やっぱりいないと埋められない欠落感を感じる。

 そんな父親だ。今は、届かないところに行った。

 

 

「めぐむ、大丈夫?」

鈴木が黒染めを臨時にしたといった感じの長い髪を掻き揚げながら私に話し掛ける。

「うん。平気」

私たちは今、小さな公園の中にいる。

小さな葬式をした。かえってすぐ、小さな言葉を父の白い肌に向かって言った。お父さん、と呼びつづけた。どれだけ呼んだかはわからない。お母さんから、2時間ぐらい冷たくなった父に向かって、私はずっと何か小さな声で言っていたと聞いた。小さな夢も知らずに寝ている間に見た。でも、父は動かなかった。誰も、お父さんの死には立ち会えなかった。ただ、誰もいないこの古ぼけた家で、孤独に死んでいったんだろう。だから、お父さんが思った言葉もわからない。突然消える虹のように美しく。

 

あの日は雨が降っていた。学校から家に急ぐとき。行くときは降っていなかったような気がする。この雨はどうして降っているのか考えてみた。考えてもわかることじゃないのに。私を馬鹿にしている。お父さんを送っている。思い出を沸き立たせている。悲しみを強調させている。そんなことを考えた。でも、私はずぶ濡れになって南のほうに走った。追い風だった。安っぽい服が重たくなった。少し寒かった。それでも、風の死んでいくほうに走った。だけど足取りは決して速くなかった。私は先生から聞いたお父さんの死を受け入れたくなく、身体が自然にゆっくりと、時間をかけたんだと思う。それでも、私の頭は必死だった。

家に着いた。そこには靴が五つ組みにあった。お母さんのと、お父さんのと、知らないの。お父さんのは、綺麗だ。お母さんのも、他のも、雨でぬれいている。でも、お父さんのだけは、前のまま、綺麗だった。中から声が聞こえた。

「めぐむちゃん!」

この声はお隣さんの加藤さんだった。

「早く入って!家の中は汚れてもいいから」

お前が言うな、と思いつつも、私は戸惑った。玄関で、じっと。行ったら、その先に見えるものは・・・そう考えると進む勇気がなくなった。でも、ここに立ち止まるわけにも行かない。決めたらすぐだ。靴を脱ぐ。そしてずぶ濡れのままお父さんの寝ている、眠っているべきところに向かった。そして、そこにいた人たちは、何か私に語りかけた。私は、何か返事したかもしれない。でも、覚えていない。覚えているものは、目の前にいるのはお父さんで、そしてお母さんが隣で泣いていて、私は何か言っていた。それしか思い出せない。

 

「全然大丈夫じゃないじゃん。そう簡単に立ち直れていいものでもないけど」

公園の中には、私と鈴木しかいない。私には鈴木しかいない。鈴木は凄い女だ。勉強はできるし、場の空気を読める。尊敬するときもある。たまに、どうして私とつるんでいるのかわからなくなることだってある。そんなときは私の気持ちを察して、あんたが好きだからよ、とか言ってくれる。それだけが、私の喜びだ。

「本当に、大丈夫?帰って寝たほうがいいんじゃない?」

「ううん。もうちょっといる。鈴木、ありがとうね。帰ってもいいよ。つき合わせて悪かったよ」

私は呟くように言う。

「あんたがここにいるのなら、私もいるわよ。一人になりたいなら帰るけど」

「できればいて欲しい。一人でいると、何もかもわからなくなってしまいそうなの」

私はこんな恥ずかしい言葉を言っていた。鈴木は微笑んでいた。

 

 私はお父さんを失った夜、記憶がない。次に気が付いたときは自分の布団の中にいた。ちょっと気持ちの整理をしてみる。寒気がした。鳥肌が立った。何度も、止まって、ひいて。それの繰り返しているうちに、私は鈴木の声で我に帰った。

「めぐむ」

それだけ。それだけ言って、私の座っているすぐ横に座ってくれた。今日は木曜日のはずなのに、いてくれる。それだけ。それだけなのに全然違った。私は鈴木に抱きついた。泣いた。この件で初めて泣いた。どれだけ泣いたか、わからない。泣き始めた時がわからないから。気が付いたときは、私は泣き止んでいた。そこで初めて鈴木が髪を黒くしたことに気が付いた。まっすぐに下ろしている。そんな気遣いに、私は顔が熱くなった。ちゃんとわきまえている。そんなところが、鈴木の凄さでもあると思う。

「めぐむ。どうぞ」

そういって鈴木は水筒をとりだして、蓋に注いだ。湯気が立った。私は何も言わずに鈴木から受け取った。そして口をつける。甘い。液の色はクリーム色だった。ミルクティー。温かな。また、涙が出てきた。私はむせた。鈴木は背中を撫ぜてくれた。

 お父さんの寝ているところに行った。寝ているところに。そこには、お母さんが一人いた。周りは葬式の準備をしているようだった。

「お母さん・・・」

私はお母さんに言った。小さな声で。

「お母さん!どうしてよ!なんなのよ!なになのよ!」

私は無意味に叫んだ。お母さんは悪くない。わかっている。でも、何かにぶつけたかった。鈴木が頬を叩いた。

「痛い!・・・何?」

「お母さんは悪くないでしょ?お父さんの代わりにずっと働いてきたのよ。冷静になりなさい。お母さんもつらいんだから」

私は唇を強く噛んだ。

「ごめん・・・」

「今晩、お葬式だよ」

お母さんが言った。そんなことわかっていた。なぜか私は怒っていた。自分でも、わからなかった。

 

 私は立ち上がってベンチからブランコの方に歩き出した。夕暮れの湿った風が私の髪をなびかせた。鈴木は話し掛けてこない。気遣いなのだろう。ブランコの上に座ってベンチのほうを見ると、鈴木はベンチにまだ座っていた。鈴木は下を向いていた。私は地球を軽く蹴った。ブランコが後ろに揺れる。それにのせて、私の心も揺れる。

 

 次の日、私は一日中眠っていたみたいだ。いつ眠ったかは記憶にない。お父さんの眠っていた場所で泣いていたとお母さんから聞いた。お母さんは二日とも一睡もしないでいたらしい。

 お父さんの死を発見したのは近所の加藤さんらしい。たまたま回覧版を持っていったとき、いつもは返事ぐらいはするお父さんが何も言わなかったのが気がかりだったようだ。そして私が閉め忘れて鍵の開いた玄関から入っていったところに見つけたらしい。突然の心臓発作だという。いや、突然の発作というのは可笑しいな。

 お父さんとの最後の会話は、お父さんが死んだ日の朝だ。こんな感じだったな。

「めぐむ、今日は学校に行かないのか?違うな、今日も学校に行かないのか?」

「もちろん」

「いい大人になれないぞ?」

「余計なお世話よ」

「うーん、でも、高校ぐらい出ておかないと就職先がないのも事実だ。中学出なんて誰も相手にしてくれないよ」

「私にこの家にいて欲しくないの?そんなに私に出て行って欲しいなら今すぐ出て行ってやるわよ!」

こういって、私は財布ぐらいしか持たずに歩いて住宅街を歩いた。家を出るとき、お父さんが何か言っていたような気がした。でも、無視した。

 これが、最後。戻らない、最後。

 今日、目を覚ましたときはお父さんがいるはずのところにいた。でも、そこにはいつもある大きな身体はなかった。あったのは、始まりかけた夏の門と、重たい静かな空気。私は立ち上がった。これが現実か、実感がなかった。だから、私は呼んだ。お父さん、お父さん、お父さん!って。何もない部屋の中で。

 そして、お母さんには顔を合わせずに、外に出た。太陽は見えなかった。曇っていた。時間が気になった。おそらく、午後の二時ぐらいだろう。薄暗く、重たい空気。空虚と、思い出。暖かかった春は去って、暑い夏が顔を出し始めていた。涙が、溢れてきた。でも、ぶつけるものがなかった。そこに立って、私は静かに涙を流した。

 しばらくして、私は歩き出した。目的もなく、ただ、歩いた。立ち止まらずに歩いた。西の空に向かって。立ち止まると、私の中の何かも止まってしまうようで怖かった。お父さんの死を肯定するようで。

信号も、だいぶ無視した。クラクションも鳴らされたけど、届かなかった。わたしの目に見えるものは、物の形だけ。ただ、何かはわかっていても、頭が認識していない。

一時間ぐらい歩いたら、街に着いた。そこには、馬鹿みたいに流れる音楽、無神経に通り過ぎていくカップル。営業口調でティッシュを配る茶髪の兄ちゃん。腹が立ってきた。何か、叫びそうになった。でも、私は口の中で言っただけで済ませた。もっと、西に歩いた。そう、太陽の沈んでいくほうへ。

少し行くと、雨が降ってきた。私の赤褐色の髪の毛が頬に纏わりつく。自分は何をしているのか、初めて疑問に思った。どうして歩いているのか。お父さんの死をまだ受け入れていないのか。始まりかけた夏の匂いをのせた風が、雨の音とともにレクイエムを唄っているようだった。それでも、止まらずに歩いた。

突然声がした。振り返った。そこには鈴木が息を切らして立っていた。自転車を右側に携えている。

「めぐむ・・・」

肩を上下させて鈴木が言った。

「お母さん、心配しているよ」

私はお母さんのことを思い出した。今ごろだけど、お母さんのことを忘れていた。

「どうして私のいるところがわかったの?」

ちょっと不思議に思って聞いてみた。

「あんたならこっちの方に歩いているんじゃないかな、と思って」

だいぶ息の整った声で鈴木が言った。

「ちょっと何か食べなさい。付いてきて」

そういって鈴木はコンビニのありそうな方に自転車を手でひいて進みだした。

 鈴木は携帯電話を取り出した。番号を押している。ちょっと失礼にも感じた。

「もしもし、かおりです。えっと、めぐむを捕獲しました。安心してください。おばさんも休んだほうがいいですよ。身体壊します」

そういってすぐに電話を切った。私のうちに電話をしてくれていたのだった。失礼と思ってしまったことを、恥じた。

 コンビニに着いた。私は財布を持っていないことに気がつく。そんな私を察して、

「もちろん奢るから安心しなって」

そう言ってくれた。嬉しかった。

 

 そして、私たちは今の公園にいる。雨はすぐに上がった。自転車に二人乗りして着いたここは、それなりに家に近いところにある公園だ。

 私は立ち上がって、ブランコを漕ぐ。大きく、大きく。鈴木も隣に立って漕いだ。私は叫ぶ。

「お父さー――――――――――――ん!ありがとー―――――――――――――う!」

言えなかった言葉。届くといいと思う。

 

 漕ぐのをやめる。周りが赤く染まりだした頃だった。

「めぐむ、どこか行かない?カラオケとか。奢るわよ」

私は、悩んだ。これ以上奢ってもらうのも気がひけた。私はカラオケなんか行ったことがない。行ってみたい気もした。大声が出したかった。

「どうする?」

鈴木が答えを急かす。大声出したら、また泣いてしまう気がする。ちょっと、沈黙が訪れる。

「止めておく。ありがとう。もう、帰るね」

「そう、それじゃまた誘うね」

「本当に、ありがとう。鈴木がいなかったら、私、私・・・」

私の声は震えていた。

「うん。でも、立ち直ったのは、自分が強いからだから。私は、見ていただけで何もしていない」

「そんなことない。本当にありがとう」

「いいってことよ。がんばってね」

「うん。またね」

私は、公園を後にして、家にまっすぐ向かった。

 

「ただいまぁ」

私は疲れ果てていた。本人が言うから間違いないぞ。

「お帰り、めぐむ。これを見て」

白い、味気ない封筒だった。私は足が震えた。そして、お母さんから奪うように取る。

 

 菜依・恵へ

 ごめんな。何もしてあげられなかった。私は、もう先が長くないことはわかっている。いつ書けなくなるかわからないから書いておく。

菜依、働かせて悪かった。お前と出会えて、本当に嬉しく思う。若かった頃が懐かしく、今でも思い出される。今は、お礼を言うことと、謝ることしか出来ない。私の結婚させてしまって、申し訳なく感じる。

 恵、本当にありがとう。ちょっと歪んでいるけど、明るく育ってよかったと思う。父としても、何も出来なかった。許して欲しいとは言わないから、少しでも泣いてくれたなら、それだけで本望だと思う。

 短いが、これからも親子で仲良くやって欲しいと思う。もう、手が動かない。

 恵、菜依が再婚しても、決して恨むな。それだけは言っておく。

 ありがとう。ごめんなさい。さようなら。

 

 汚い字で書いてあった。私は、玄関に手をついて、泣いた。床をこぶしで叩いた。目の前には、お母さんがいた。立ったまま、涙をこぼしている。

 

 次の日、私は近所の加藤さんにあった。こう聞かされた。

「あの人は、私が行くたびに、『ダメな父親だ。親らしいことを少しもしてあげられなかった。何も残してあげられない』だって。いいお父さんだったね」

 こう言った。

 

 私の悲劇はここで終わる。これから、がんばって立ち直っていこうと思う。夏の門は開きかけている。

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